大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)2287号 判決 1988年11月17日
原告
安田幸和
被告
久原末数
ほか一名
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自原告に対し、金一九五万四一二七円及び内金一七〇万四一二七円に対する昭和六二年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 事故の発生
被告久原は、昭和六一年九月一九日午後三時三〇分ころ、普通貨物自動車(なにわ一一さ二一三四号、以下「久原車」という。)を運転して大阪府豊中市庄内宝町三丁目八番一号先路上を後退中、自車後部を訴外中尾隆司が運転し、原告が同乗していた普通乗用自動車(神戸五八や五五六号、以下「中尾車」という。)の前部に衝突させた(以下「本件事故」という。)。
2 責任
被告久原は、前記道路において、対向車との衝突を回避するため自車を後退させようとしたのであるから、後方の安全を確認したうえで自車を後退させ、後続車との衝突を未然に防止すべき注意義務があつたものである。しかるに、同被告は、対向車の動静に気を奪われて後方に対する安全確認を怠つたまま自車を後退させ後方に停止していた中尾車に自車を衝突させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。
また、被告会社は、本件事故当時久原車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき、本件事故によつて生じた後記損害を賠償する責任がある。
3 原告の受傷及び治療経過
原告は、本件事故により頸部及び腰部捻挫の傷害を負い、昭和六一年九月一九日から同年一二月三一日まで(一〇四日間)病院に入通院(入院四八日、実通院日数二六日)して治療を受けた。
4 損害
(一) 治療費 金七七万六二三〇円
原告は、前記病院に対する治療費として金七七万六二三〇円の債務を負担した。
(二) 腰椎装具代 金一万六〇〇〇円
(三) 診断書料 金一五〇〇円
(四) 入院雑費 金四万八〇〇〇円
原告は、前記四八日の入院中、一日当たり金一〇〇〇円、合計四万八〇〇〇円の雑費を要した。
(五) 休業損害 金一三五万七一九七円
原告は、本件事故当時四一歳の健康な男子で、運送業を営み、事故前五か月間の一か月平均の収入は金七三万四九九五円で、これから経費を控除した月額四六万五三二五円の利益(利益率六三・三一パーセント)を得ていた。しかるところ、原告は、本件事故による傷害のため、昭和六一年九月一九日から同年一一月三〇日まで七二日間は全く就労できず、同年一二月一日から同年三一日まで三一日間は五〇パーセント労働能力に制限を受け、次の計算式のとおり、金一三五万七一九七円の休業損害を被つた。
465,325÷30×(72+31×0.5)=1,357,197
(六) 慰謝料 金六〇万円
原告が本件事故により被つた精神的、肉体的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、金六〇万円が相当である。
(七) 弁護士費用 金二五万円
原告は、本訴の提起及び追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として金二五万円の支払を約した。
5 損害の填補
原告は、久原車の自動車損害賠償責任保険から金一〇七万七三〇〇円の保険金、被告会社から金一万七五〇〇円の損害賠償金の支払を受けた。
6 結論
よつて、原告は被告らに対し、4(一)ないし(六)の合計額から5の既払額を控除し、これに4(七)の弁護士費用を加えた各金一九五万四一二七円の損害賠償金及び弁護士費用を除く内金一七〇万四一二七円に対する不法行為の日ののちである昭和六二年一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1及び2の事実は認める。
2 同3の事実は否認する。(一)本件事故は、中尾車の前部に久原車が衝突したもので、原告の体は固定されておらず、体全体が前方へ移動するので、頸部だけが前後屈を強制されるような力は加わらない。また、本件事故現場は、被告久原が停止して後退を開始した地点から衝突地点へ向かつて上り坂になつていて、後退速度も時速約五キロメートルにすぎず、被告久原は、停止後も事故に気づかなかつた。本件事故直後に行われた実況見分において、久原車には後ステツプの擦過痕、中尾車には前バンパーの擦過痕以外に損傷は認められず、衝突により両者の移動はないものとされており、本件事故は極めて軽微なものであつた。したがつて、本件事故によつて原告に頸部捻挫を生ずるような生理的可動域を超える過伸展や過屈曲は生じていない。(二)原告は、東青木診療所及び井星外科病院において種々の症状を訴えたが、客観的に主訴を裏づけうるような所見はなかつた。のみならず、原告は、東青木診療所において、初診時、トラツクが急発進でバツクしてきて当てられた、衝撃はきつかつたと述べ、井星外科病院においても、初診時、追突事故であると述べ、いずれも虚偽の事実を述べて診療を受けている。東青木診療所の医師は、昭和六一年一〇月一三日ころ、豊中警察署の事故係から電話を受け、本件事故は軽微なものであると聞き、早速原告に退院を申し入れ、原告は同月一六日退院したものである。原告は、本件事故直後、現場で車の損害の話だけをし、体の痛みを訴えることはなかつたし、同年一二月には、本件事故前の売上を上回る売上を上げており、その訴えるような症状はなかつたものである。(三)原告は、昭和五七年七月一九日にも交通事故に遭い、本件と同様の症状を訴えて入院したことがあり、本件を偽装することも可能である。
3 同4の事実も否認する。
4 同5の事実は認める。
第三証拠
本件記録中の書証及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。
理由
一 原告は、本件事故により頸部及び腰部捻挫の傷害を受けたものであると主張し、被告らはこれを争うので、まずこの点につき判断するに、本件事故の発生は当事者間の争いがなく、成立に争いのない甲第四号証、第一四号証の一ないし五、第一五号証の一ないし三、証人青木繁の証言、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる乙第一ないし第五号証によれば、原告は、本件事故当日の昭和六一年九月一九日、項部・両肩牽引痛、頸部運動痛、嘔気を訴えて小西外科病院を訪れ、頸部捻挫の診断とその治療を受けたこと、原告は、同月二〇日、頭痛、項部痛、背部痛、背部痛を訴えて東青木診療所を訪れ、頸部、腰部捻挫の診断を受け、同月二二日から同年一〇月一六日まで(二五日間)入院して治療を受けたが、この間、頭痛、嘔気、項部痛、背部痛、腰痛、耳鳴、左下肢の痛みとしびれを訴え、頸部及び腰部に圧痛が認められたこと、また、原告は、同月一七日、頭痛、嘔気、腰痛を訴えて井星外科病院を訪れ、頸部腰部捻挫の診断を受け、同日から同年一一月一二日まで(二三日間)入院し、同月一三日から昭和六二年一月二七日まで通院して治療を受けたが、この間、頸部・腰部・頭部痛、嘔気などを訴え、頸部の圧痛、項部の緊迫感、頸部及び腰部の運動制限が認められたことが認められる。右の事実によれば、原告は、本件事故により頸部及び腰部捻挫の傷害を受けたものと推認することができるかの如くである。
二 しかし、成立に争いのない甲第三号証、被告ら主張どおりの写真であることに争いのない検甲第三号証の一ないし三、被告久原末数本人尋問の結果及びこれにより被告ら主張どおりの写真であると認められる検甲第二号証、弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第二号証、原告本人尋問の結果(措信しない部分を除く。)によれば、本件事故に関する状況として、次の事実が認められ、これに反する事故状況を述べる原告本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らして信用することができず、他に右の認定を左右し得るような証拠は存在しない。
1 本件事故現場付近の道路は、東西に走る阪急電車の高架線の下を通つてほぼ南北に走る幅員五メートルの道路で、高架線の下付近から北方は、一〇〇分の三の上り勾配になつており、北から南に向かう右道路は、高架線の下辺りでやや右に方向を変えているため、高架線の下から北方の道路と南方の道路との見通しはよくない。
2 被告久原は、本件事故前、久原車を運転して右道路を南進してき、右高架線の下の手前に差しかかつたところ、南方から対向北進してくる四トントラツクに気づき、これとすれちがうのは無理であると判断したので、右対向車に道を譲るため、高架線の下から一、二メートル手前で一たん停止し、時速約五キロメートルの速度で約三メートル後退し、後部に停止していた中尾車の前部に自車の後部を衝突させた。被告久原は、約三メートル自車を後退させて停車させたが、本件事故に気づかず、中尾車を運転していた訴外中尾が車外に出て久原車に近づいてきたので、はじめて本件事故を発生させたのかもしれないと思つた。同被告は、衝突後直ちに下車し、衝突部分を確認したところ、久原車と中尾車との間には、多少の空きはあつたものの、ほとんど接着した状態で停止していた。
3 原告は、本件事故当時、中尾車の助手席に乗つていたが、事故直前に久原車のバツクランプが点灯したのを見て衝突の危険を感じている。
4 本件事故当日の午後五時四五分から午後六時五分までの間、警察官により実況見分がなされたが、そこにおいて確認された久原車と中尾車の損傷は、久原車の後部ステーの擦過痕と中尾車の前部バンパーの擦過痕だけであり、実況見分に当たつた警察官は、被告久原の指示説明に基づく実況見分調書を作成するに当たり、中尾車は本件事故により全く移動していないものとして右調書を作成している。
右認定の本件事故に関する事実によれば、本件事故により原告の主張するような傷害を負う可能性を否定することまではできないが、原告の受けた衝撃は、前方からの軽度のもので、本件事故による中尾車の移動も殆んどないうえ、原告は事故前に衝突の危険を感じていたものであつて、これによつて原告の主張するような傷害を負う確率は、極めて低いものであるというべきである。
三 また、原本の存在及び成立に争いのない甲第六ないし第八号証、成立に争いのない同第九号証の一、第一六号証の一、二、前掲同第四号証、第一四号証の一ないし五、第一五号証の一ないし三、乙第一ないし第五号証、証人青木繁の証言、原告本人尋問の結果(措信しない部分を除く。)によれば、原告の症状に関する事情として、次の事実が認められ、これに反する原告本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らして信用することができず、他に右の認定を左右し得るような証拠は存在しない。
1 原告は、本件事故の前の昭和五七年七月一九日、自動車事故により頸部捻挫の傷害を受け、同月二七日から昭和五八年二月七日まで病院に入通院して治療を受け、残存した後遺障害につき、自賠責保険の等級認定において第一四級一〇号に認定されたことがある。
2 東青木診療所は、原告は初診時にトラツクが急発進でバツクしてきて当てられ、衝撃はきつかつたと述べ、悪心を訴えたので原告を入院させ、前記のような多彩な愁訴が続いたので、原告に対する入院治療を継続したが、その治療中、原告には、レントゲン検査及び神経学的な検査上異常はなく、頸部及び腰部の圧痛が認められた以外、原告の訴えを他覚的に裏付ける所見は全くなかつた。そして、右診療所医師の圧痛の確認も、訴える痛点が医学的に合理的なものであるかどうかを確認するに足るようなものではなく、医師が原告の訴える症状から考えられる圧痛点を指で押し、原告に痛みの有無を尋ねるようなものであつた。同診療所医師は、昭和六一年一〇月一三日ころ、豊中警察署の事故係から電話を受け、本件事故は軽微であるのに、発行された診断書の加療期間が長すぎるのではないかと質問され、あわてて同月一六日に原告を退院させるに至つた。
3 原告が事故当日に診療を受けた小西外科病院においても、レントゲン検査上の異常はなく、その他の他覚的所見のあつたことは確認されていない。
4 原告は、井星外科病院での初診時に追突事故に遭つたものであると述べて治療を受けた。同病院においても、原告にレントゲン検査や神経学的な諸検査上異常があるものとは認められていない。
5 原告は、昭和六一年一一月にはダンプカーの運転の仕事を再開し、同年一二月には事故前を上回る稼働をしている。
右認定の原告の症状に関する事実によれば、原告の訴える症状を全く否定することはできないが、多彩な症状を訴えているのに、これを裏付けるに足るだけの他覚的所見はなく、果して原告の訴えるような症状があつたのかとの疑問を解消することができない。
四 右のように、本件においては、事故の状況についても原告の症状についても合理的な疑いを容れる余地があるので、一に認定した事実から原告が本件事故によりその主張のような傷害を負つたものと推認することはできないものであり、他にこれを認めるに足るだけの証拠は存在しない。
五 以上の次第で、原告の本訴各請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 山下滿)